残骸の回収作業を待つ

午前3時ごろ、再度墜落現場に行く。
現場前後は相変わらず通行止めが続いている。
330側からは、ブックオフ過ぎて一つ目の信号に仮通行止めが設置されている。
ただ車線の片方にしか設置されておらず、通過することもできる。
そこを越えて50メートルほどにあるほか亭あたりに本通行止めが設置されている。
ここから先はどうあっても通してもらえない。歩道も封鎖されている。
  (夜9時ごろ来たときは歩道は通ることができた。墜落現場の道向いで、
   マスコミのクルーが機体の撤去作業を待ち構えていた。)
墜落現場に面した道路はこのように進入できないのだけども、
わき道に入ると高台から現場を望める。警官も知らん振り。のどかだ。
夜中にもかかわらず、大学構内には10名以上の米兵が常駐している模様。
構内には琉球大学自治会のノボリが。機動隊員とギスギスしている。

現場は投光機で常時照らされ、たまに米兵が発動機の燃料補充に来る。
黒焦げの壁面は夜になっていっそう黒さを増したように見える。
すっかり鎮火した残骸は現場に放置され、投光機の白々しい光に照らされている。

印象的だったのは、残骸だった。
機械というものはすべからく目的を持って作り出されるものである。
それゆえ、大破し原型を留めない残骸というものはもはや機械たりえない。
それでいて、この残骸は機械の雰囲気を色濃く残していた。
その巨大さからだろうか、滅茶苦茶に壊れ、焦げていながらも存在感は圧倒的であった。
壊れていながらも、メカの痕跡はそれが巨大な機械であったことを強烈に主張していた。
投光機の光と相まって、非常に奇怪な物に見えた。あと数時間経って日が昇れば、
そうした幻影もうっすらと消え去り、パワーに満ちた男たちとトレーラーによって運ばれて行くのだろう。